◆開通記念日◆

 

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~開通記念日◆

    コムソモリスクでの駅建設工事も終わりに近づいた、秋晴れのある日の事。今日はバム鉄道の開通記念日で仕事は休みらしく、ラーゲル内は朝からのんびりしていた。開通の意味がバム鉄道の全通なのか、一部開通なのか私は知る訳もなかった。そこでは私一人だったので話相手もいない。もっぱら班で煙草を吸っている奴の側に寄り「ダワイ、パクリ」〈吸わせてください〉と乞うのであった。奴等も私を不憫に思うらしく「ナ、ミシヤ」〈はい、山本〉と言って、気持ちよくくれたものである。

不思議なことに、この頃から私は「ミシヤ」と呼ばれるようになった。ロシア名で私のような格好の人間を「ミシヤ」と呼ぶのかと思った。私にすれば「ミシヤ」であろうと「コーリヤ」であろうと、そんな事はどうでもよかった。

その日奴等は家からでも送って来たのか、粟の粥を炊いた飯盒を洗ってくるようにと私によこした。そしてありがたいことに、必ず飯盒の底に少しでも残してくれるのであった。その時私はなんとなく嬉しくおもった。こんな事は日曜日に奴等の中で、誰か彼かが楽しみにしてやっていたことである。

やがて「アベード」〈昼食〉の時間になって食堂に行くと、記念日を祝って二〇グラムの「カルバサ」〈ソーセージ〉と「チリパック」〈しゃもじ〉一杯の砂糖湯、それに二〇〇グラムの白パンが配給されて、子供のように喜んだものだった。

メーデー、革命記念日にもこのような給食を受けたことがある。

開通記念日には、駅と汽車に祝賀の国旗が揚げられていたと聞いた。秋晴れの良い一日であった。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛

 

みーさん
みーさん

コーリャはニコライの愛称、ミーシャも何かの姓の愛称でしょう。叔父様が愛らしい日本人としてロシア人に大切に思われていたと言うことだと思います。

mimicoco
mimicoco

ロシア人に比べたら、伯父は小柄で少年のようだったと思います(笑

 
タイトルとURLをコピーしました