◆野生のゴボウ採り◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第三章「地方人としての暮らし」~野生のゴボウ採り◆

   一九五二年の夏、私がインガシヤで貨車の丸太積みをしていた頃のことである。丸太置き場の整理を終えたが夕食にはまだ少し早すぎるし、また夕焼けがあまりにも綺麗だったので先輩と三人でぶらりと散歩にでた。
バラックを出て二〇分も歩いた頃に、先輩のH氏が突然スーッと道路の左側の側溝に入り込んだのである。雨量の少ないシベリヤなので溝に水気は何もなく、雑草がたくさん生えていた。
彼は雑草の中の一株を指して“アッ、これはゴボウだ”と大声で言った。私はまさかと思いながら側溝の中に下りて、同じ葉の植物を根元から引き抜いて鼻先に近づけて匂いをかいで見た。それはまさしく懐かしい祖国のゴボウの香りであった。よく見れば葉もたしかにゴボウの葉に違いなかった。いかにも野生らしく根は短く、丁度朝鮮人参のように二股に分かれている。途端に欲が出た私は、狭い側溝を先輩の二人に負けじと出たり入ったり、素手でゴボウの葉をつかみ、引っ張るやら捻じるやら、夢中で掘り起こしたのである。
その時後ろから来た老婆が、背中を丸くして何やら野草を夢中で採っている我々の様子を、訝しげに見ながら「ヤポンスキー、チョゼーライ」<日本人よ、何をしているの?>と声をかけた。先輩の二人は無言だったが、私は「エト、レカルスト」<これは薬草です>と答えた。老婆は納得したらしく、うなずいて通りすぎて行った。
間もなく、両手一杯にゴボウを採った我々は急ぎ足で帰った。その時仲間の一人が“あの老婆に、実はこれを食べるのです。とは言えなかったものナー”と言い、皆で大笑いをした。
夕焼け空はいっそう真っ赤に燃えていた。その晩は早速苦労して抜いたゴボウの塩汁を食べた。いい香りであった。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
みーさん
みーさん

昔父から、捕虜にごぼうを食べさせて、戦犯になった日本人がいる、と聞きました。木の根っこを食べる習慣のない欧米人に食べさせたのが不運だったようです。

mimicoco
mimicoco

みーさん♪ ごぼうで戦犯!!なんか信じられませんが。。宗教的な問題がからんでいるのでしょうか?

 
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