◆第三章「地方人としての暮らし」~釈放された夜◆
釈放されて衛門を出た私は、職員に連れられてウプラウレーニヤ〈監理局〉に向った。周囲はすでに真暗で寒かった。呼吸をするたびに、鼻息がもうもうと顔をおおったのである。二十分歩いて監理局に着いた。
私は五年間の上金(あげきん)を三十七ルーブル(一万円余り)と三日間分の黒パン、少量のサーハル〈砂糖〉を受け取ってチマンダ〈トランク〉に詰めた。職員は私に「パイジョン」〈一緒に行こう〉と、先に歩き出した。私はそこにいた女子職員に「スバシーボ」〈ありがとう〉と挨拶をして玄関を出たのである。
夕方の寒さは一層厳しく、垢で汚れたラーゲルの被服に容赦なく突き刺さった。しばらく歩いて職員の家に着いた。
私は母屋に続く六畳間ほどの作業小屋に入れられたのである。土間には鉋屑が一面に散らかっていた。いろいろな道具や板切れが壁の棚の上に置いてあった。少し待っていると、彼はシューバー〈毛皮の外套〉を二枚持って来て、これを着て寝るようにと言った。小屋を出る時に彼は、「ここから出てはいけない」と注意して出て行った。
私は窓から入るかすかな明かりで、土間の鉋屑(かんなくず)を小屋の片隅にかき集め、その上にシューバーを一枚敷いた。もう一枚を掛けて、自由人になって初めての眠りについたのであった。
寒かった一夜も二枚のシューバーで大分助けられた。眼が覚めたのは、母屋で飼っている鶏の甲高い鳴き声によってである。
朝7時頃だった。ドアが開いて、マダムが何も言わず薬缶とコップをにゅっと差し出してよこした。私はすぐに起き上がり「ドブレ、ウートロ」〈お早ようございます〉と挨拶をし、「スパシーボ」〈ありがとう〉と礼を言って受け取った。マダムは黙って出て行った。
私は、「この寒いのに、水をどうして飲める訳がないではないか」と一人言をいった。しばらくしてフト気がついた。それはマダムが私に洗顔をするための水をくれたのだった。その時、私は自分の早合点を大いに恥入らねばならなかった。

収容所を出てからもまた大変だったんですね・・・。

そうなんです。。これからがまた長い旅なのです