罪の人

大切な言葉

自分の弱さを知っている人だけが、隣人の弱さに対して公正でありうる。

もし他人の立場に自分を置いたならば、われわれが相手に対していだく憎悪の感情から解放されることが、さぞ多いに相違ない。また他人を自分の立場に置いたならば、自慢の鼻を高めるのをさし控えることが、さぞ多いに相違ない。

自分の身をふり返ってみたら、他人を非難したのと同じ罪を自分もやはり犯しているのを、われわれはほとんどつねに発見するだろう。そんな罪は犯した覚えがないと言うならば、まあちょっと探してみるがいい。そうすればそれよりももっと悪い罪が見つかるにちがいない。

 

これは、トルストイの言葉です。

わたしたちは日常、あらゆる情報網から流れてくるニュースを見聞きしながら、知らずにどれだけ他者を非難・中傷していることでしょう。真実も知らないのに自分の価値観だけで他者を推し量り、軽々しく他者を非難している。私の中にもそういう自分が存在しています。われながら恐ろしい罪を冒していると思います。

本当に悪いことならば、神様が、そして法律が対象者を裁くでしょう。そして本当に罪を犯した人が自分の罪を償えばそれでいいのだと私は思います。

人は相対的な世界に生きているから他者のことが気になるのは仕方がないことだけれど、そこは反面教師くらいに考えて、本当に観るべきは私たちを生かして下さっている神様だと思うのです。(かといって厭世的に生きるわけではありませんが・・。)

神様からみたら、人間なんてみんな同じ。

でも、自分の罪を必死に償おうとする人と、テレビの前で平気で他者を批判して滅多打ちしている人では、神様はどちらを愛でてくださるのでしょうか・・

 

(p183. 7月30日 から引用させて頂きました。)
 
 
 
 
 
 
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