◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」
~紙幣の切り替えとパンのこと◆
一九四八年の春頃だと思う。私達はそのころ六〇一号のラーゲルにいて、東洋人が三番交代で、昼夜兼行のトンネル工事に従事していたのである。
私達は寒さと食料不足で身体はすっかり痩せ細り、窪んだ眼だけが異様に光っていた。
そんなある日、我々「ラボーチ」〈労働者〉に手当が支給されたのであった。その時私も三ルーブルほど貰ったと記憶している。この紙切れが少しでもパンかマホルカと交換できるのならと思って大切に身体に身に付けて持っていたのであった。
そんな嬉しいことのあった数日後のこと、ロスケ達がやたらと我々東洋人のパンを買いにバラックに来たものだった。私も思い切って朝の五〇〇グラムのパンを十ルーブルで売ってたのである。それが大失敗の巻であった。翌日からその紙幣は新券切替のため、使用不可能となったのである。
知らなかった事とはいえ、すっかりロスケに一杯食わされてしまった。その時は何とも後味が悪く、腹立たしさを誰にぶつける事もできず、あの時の口惜しさは忘れる事ができない。
ここでは又、こんな事もあった。
夕食前の事である。班長が給食係二名を連れてパンの受領に行った時、「コリドール」〈ホール〉に入ったとたんドアの陰に隠れていたロスケに突然襲われて、二人で運んで来た運搬箱に山と積まれたパンの中から、いくつかを鷲づかみにして逃げられたのである。外はもう暗くなっていて、盗んだロスケの顔も分からずただ取られっぱなしとなってしまった。それからは朝夕二回のパンの受領に行く時は、まだ多少元気のいい者が二人、木刀を持って護衛したのである。
またある日、「カピチョルカ」〈食料配給所〉でパンの受領の時に、ロスケのずるい奴がいて水平秤の一方の皿の底に「コペイカ」〈硬貨〉を貼り付けて量目をごまかしていた事があった。それを班長が発見してパンを全部計り直させたのである。この事がロスケの所長の耳に入り、間もなくそのロスケは姿を消したのであった。
この程度の事は、ここでは日常茶飯事のようであった。また、あるラーゲルの「ベスカンボーイ」〈監視なしの囚人〉は砂糖運搬の途中、砂糖袋に雪を混ぜるとの噂もあったが真偽ののほどは不詳である。