◆第三章「地方人としての暮らし」~「秋晴れの一日」◆
一九五二年(昭和二十七年)九月、秋晴れの朝であった。私が現場の長「ナチャーニック」イワンに呼ばれて事務所に行ったのは、出勤して間もない九時頃だった。
その頃私達の仲間三人は、カンスクで一番大きなウォッカ工場の、廃液を郊外へ流すための、穴掘り作業をしていた。直径四〇センチ長さ四メートルの鋼管を連結する工事であった。
イワンは、“公園に植樹するから、あとの二人を連れて行き白樺の立木をトラックに一台運んで来い”と言った。
無論のこと運転手はロスケで、道具を積んですぐ出発となった。トラックが二十分ほど走ると、運転手は街外れに住んでいたのか、彼の家の前に車を止めて中から猟銃を持って出て来た。
トラックは私が二年前、かって南ウラルへ送られる時に中継所として足を止めた事のある、カンスクのラーゲルの側を走って行った。その時、私は懐かしさのあまり二人にその時の様子を説明した。
やがて車が大地を登りきったとき、遥に見えるカンスクの街並みそして眼下一望出来るラーゲルの四角な建物が見えた。その時はなんとも言えない複雑な思いがした。
途中の平原を走っている時に、あっちこっちの巣穴から立ち上がって、首を左右に動かしてキョロキョロと周りを見回しているリスに似た小動物がいた。運転手は車を止めて何発か発射した。彼はその時二匹射止めたのであった。車は一時間ほどして目的地に着いた。広い白樺林の前で小休止をする。運転手は煙草をくわえたまま、銃を左手に下げて辺りを見回していた。
我々はナチャニックに言われて来た通り、手首ほどの太さで三メートル位の高さの白樺を根っこから掘り起こした。汗を拭きながら、二時頃までにはトラックに一台積み込む事が出来たのである。
この運んだ白樺の木は、街の中央広場にこれから出来る公園造りに使用するもので、我々は夕方までに二十本ほどを全部移植し終えたのであった。私はこの時、門の前の左側へ五本も一列に植えた事を、今でも鮮明に記憶している。
あれから、四十年近く経ったが、あの時汗だくで植えたあの白樺の木は、どの位大きくなったろうか。何とも感慨深いものがある。
果たしてあの公園は、今はどのような姿になって市民の憩いの場になっているのだろうか。などなど、フト思う事もある。

公園がロシアの方や多くの訪れる方の憩いの場になっていることを祈ります。日本人、よく働きますね!

みーさん♪ ホントに。。その公園が残っているのでしょうか? 朝 この記事を投稿したあとに思わずGoogle mapでカンスクの街を眺めていました!!