◆私は「何処へ」行くのか◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第三章「地方人としての暮らし」
~私は「何処へ」行くのか◆

  私は火の気のない小屋の中で、凍った黒パンを食べ砂糖を少しなめてザフトラカ〈朝食〉を済ませた。その日の午前中、ついにハイジャイン〈主人〉は小屋へ顔を見せずに出勤したらしい。

これから先、私を一体何処へどうするつもりなのか。思うように聞く事もできず、ロシア語の下手な自分に苛立ちを覚えた。

午後になって私は急に外へ出てみたくなった。小屋を抜け出して三〇〇メートルほど歩いて行くと、マガジン〈商店〉を見つけた。私はもの珍しさのあまり店の中に入ってみた。取りあえずコンフェクト〈あめ〉五ルーブルを買った。それは私がシベリヤに来て初めての買い物であった。嬉しさのあまり一目散に小屋に戻った。まるで子供のような心境になって、自分ながら滑稽だった。コンフェクトはとても美味しく、甘酸っぱいジャムのようであった。

五時頃になって、ハジャインが私を送るらしく迎えに来た。私は薄暗い街を彼に連れられて駅に向った。夜の駅は明るくて、自分のみじめな姿を見て我ながら恥ずかしくなった。かれは何処まで送るのか、シベリヤ本線のハバロフスク行きの列車に乗り換えたのである。

その時、ハジャインは私の事を女性車掌に頼んだらしく、私には何も言わずに黙っていなくなってしまった。


私は火の気のない小屋の中で、凍った黒パンを食べ砂糖を少しなめてザフトラカ〈朝食〉を済ませた。その日の午前中、ついにハイジャイン〈主人〉は小屋へ顔を見せずに出勤したらしい。

これから先、私を一体何処へどうするつもりなのか。思うように聞く事もできず、ロシア語の下手な自分に苛立ちを覚えた。

午後になって私は急に外へ出てみたくなった。小屋を抜け出して三〇〇メートルほど歩いて行くと、マガジン〈商店〉を見つけた。私はもの珍しさのあまり店の中に入ってみた。取りあえずコンフェクト〈あめ〉五ルーブルを買った。それは私がシベリヤに来て初めての買い物であった。嬉しさのあまり一目散に小屋に戻った。まるで子供のような心境になって、自分ながら滑稽だった。コンフェクトはとても美味しく、甘酸っぱいジャムのようであった。

五時頃になって、ハジャインが私を送るらしく迎えに来た。私は薄暗い街を彼に連れられて駅に向った。夜の駅は明るくて、自分のみじめな姿を見て我ながら恥ずかしくなった。かれは何処まで送るのか、シベリヤ本線のハバロフスク行きの列車に乗り換えたのである。

その時、ハジャインは私の事を女性車掌に頼んだらしく、私には何も言わずに黙っていなくなってしまった。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
 
 
みーさん
みーさん

優しいロシア人との出会いがここでもあって、ほっとしました。本当におじさま、心細かったでしょうね・・・。

mimicoco
mimicoco

みーさん♪なんかドキドキしながら読んでいます。

 
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