◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~燕麦と馬◆
一九四八年、六〇三号収容所にいた頃で、冬の伐採作業中の事である。「ベスカンボーイ」〈監視のつかない囚人〉のロスケが、我々の働いている近くで馬橇(ばそり)に長い薪材を付けて運搬する仕事をしていた。「タイガー」〈森林地帯〉の積雪はせいぜい二、三〇センチ位のもので、健康体であれば何のこともないのだが、栄養失調の体では林の中の歩行もスムーズではなかったのである。現場も新しい区域だった関係で、切り倒されたままの大木が交さし、払われた枝や飛び散った枝が一面に散乱し、藪原(やぶはら)で一人でする作業はなかなか大変らしかった。
私はマホルカを欲しい気持ちも多少あって、馬橇(ばそり)に付けるのを少しばかり手伝った事がある。しばらくして積み終わると、ロスケはおもむろに煙草袋を出して吸い出した。勿論、私にもすわせてくれた。彼は二、三服気持ち良さそうにすったあと、私に「ナー」〈あげる〉と言って、そのままよこしたのである。私はうれしくて、その場で立て続けに吸った。
彼が帰る時、こんどは馬用の燕麦を馭者台(ぎょしゃだい)から下ろして、大きな手で二つ私のポケットに入れてくれたのである。私は彼が行った後、ふと六〇一号でのトンネル工事の時に使われていた、あの見る影もないほどに痩せ衰えていた馬のことを思い出した。そして何故か自分が馬糧(ばりょう)のピンハネでもしているようで馬に悪いような複雑な思いがしたのであった。
燕麦は帰営後、麦茶にして皆で飲んだのである。

極限状況にあっても明るさを叔父様の手記から感じます。前向きな姿勢が困難に打ち勝ち、ダモイをかなえられたのでしょう。

みーさんも同じように感じてくれますか?伯父の手記を読めば読むほど彼の温かさを感じ、あまり悲惨さを感じさせない。前向きに。。そしていつかダモイを果たすと決意していた。そういう強さは感じます。