無力な自分

祈りの言葉

Dear Lord,
I’m worried about a close friend
who is in danger.
I pray that You will continue
to protect them,
as You protect me.

 

ぐぐるちゃん
ググルちゃん

親愛なる主よ、危険にさらされている親しい友人が心配です。あなたが私を守るように、あなたが彼らを守り続けることを祈っています。
(Google翻訳)

 

今日のGoogle翻訳は、まともに訳してくれて安心しました 😉

親しい人が、事故にあったり、病気になったり、さまざまな危機に面しているとき、心から祈らずにはいられません。私の次男が2歳時に血小板の数値が異常に低く、血液の病気で前がん状態だと告知され抗癌治療をした時、眠っている子のその小さな胸に耳を当てて心臓の鼓動をよく確かめていたものです。どんなに可愛い子どもでも、代わってあげることもできず無力な自分を思い知らされました。入院中の子どもの身の回りのことだけお世話して、治療はお医者様に、結果は神様におまかせしました。感情に振り回されないよう、精神的に辛くなったら、ひたすら祈るということを繰り返していました。

よく「祈っているだけではだめだ」ということをお聞きしますが、「祈り」はしっかりとした大切な「行為」です。感情に任せて「祈り」の伴わない行為をしていても、負のスパイラルに陥ってしまうだけ。

それから、「苦しい時の神頼み」だけではだめだと思うのです。神様は一度や二度はお願いを叶えてくださっても、いつも結果だけを求め「お願いの祈り」だけをしている人を放っておかれるのではないかと思います。その人が本当に神様の存在に気付くまで。

だから平穏な日々、平穏な日常生活を送っている時から神様への「感謝の祈り」というのが大事なのではないかと思います。朝、いつものように目が覚めた、ご飯を頂けた、仕事をさせて頂いた、という平穏な日々の中にこそ内省の伴った神様への感謝の祈りというのがとても重要だと思うのです。

 

《出典》”A Year of Prayer: 365 Simple Morning Messages” 
                                        by  Grace Berdone

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