◆第三章「地方人としての暮らし」~映画鑑賞と交通事故◆
一九五二年七月、暑い日の午後であった。今晩六時半から本部の公会堂で「タルザーン」<ターザン>の映画があるので、日本人の我々にも観に来るようにと、迎えのトラックが来たのは五時頃であった。退屈した我々にとっては、いかにも招待状を受け取ったような満足感があった。皆は急いで夕食を済ませ、運転手の連絡を待っていた。やがて五時半頃になると、我々に「パイジョン」<行くぞ>と声をかけて、彼はサーッと運転台に飛び乗った。待っていた五名は彼に続いてトラックによじ登った。二〇分ほど走った頃、急にカーブのところで車が止まったのである。運転手は我々に「薪を拾うように」と言って左側の林の中へ入って行った。我々は言われた通り車から飛び降り、彼のために枯れ木を拾い集めた。
その時、私たちが今登って来た道路を物凄いスピードで走って来る車の、エンジンの爆音が聞こえたのである。勿論、周囲は薄暮であった。我々のトラックを止めた位置が悪かったので、走って来た運転手にはきっと見えなかったのであろう。急停止をしたため、タンクローリーは物凄いブレーキの音をたて三回転して止まったのである。ガラスが散乱し中から運転手が血だらけの顔をして膝立ちしながら、右手を上げて我々のトラックに向かって来た。我々の運転手は「ヤポンスキー早く乗れ」と言った。我々は驚いて一メートル程の薪を小脇に抱え、急いでトラックによじ登ったのである。
運転手は人数を確認すると一目散に現場を離れ、目的地へと急いだのであった。まもなく我々は、何事も無かったような顔をして公会堂の中に入ったのである。
公会堂にはロスケのマダム、子どもたちが大勢入って映画の開始を待っていた。ターザンの映画はアメリカものあった。上映時間二時間位であったが、私は何とも落ち着かない気持ちで観ていた。
やがて映画は終わり、我々は来た時の運転手に送られて帰途に着く。皆それぞれに後味の悪い思いをしているので、映画の感想も何も話さず黙って乗っていた。
事故現場にさしかかった時、私は身震いを覚えた。しかし、例のトラックの姿は無く何事もなかったかのようである。
我々にすれば楽しいターザン映画もなんとなく気分が悪く、とんでもない映画鑑賞の夕べとなった。その後の結末について我々には何も知らされなかったのであった。

うーん。せっかくの楽しい時間が大変な事になってしまいましたね。残念です。叔父様の優しさ、伝わってきます。

みーさん♪助けを求めていた人を置き去りにするのは。。本当に心が痛んだことだろうと思います。せっかくの映画鑑賞が台無しになってしまいました。