Dear Lord, help me not to let my heart be troubled and help me to trust in the Holy Trinity, Father, Son and Holy Ghost.

親愛なる主よ、私の心を悩ませないように、そして聖三位一体、父、子、聖霊を信頼するのを助けてください。
3/15からカテゴリー「きょうの祈り」にアップさせて頂いている祈りの言葉は、Grace Berdone氏の”A year of prayer”から引用させて頂いていますが、この祈りは、敬虔なクリスチャンの方の祈りです。三位一体などについては、どうぞ検索して調べてください。私自身はキリスト教の敬虔な信者でも何でもなく、不真面目極まりない凡夫で、三位一体については何のコメントもできません 🙄
それでも、私は幼稚園と中学、高校、大学はキリスト教系のミッションスクールで学び、授業には宗教の時間もありましたので、無宗教の方よりは「神様の存在」を身近に感じていたかもしれません。中学・高校では寄宿舎生活を送り、朝起きて寝るまで何度となくお祈りしなければなりませんでした。日曜の朝には、ミサに参加し(強制)、しまいにはシスターに讃美歌の伴奏を頼まれたり でも讃美歌をうたうのは嫌いじゃなかったのですけど。
現在、私には子供が3人いますが、彼らが赤ちゃんの時は子守唄替わりに讃美歌をよく歌いました。それだけ後の人生にも影響があったということです。あまり熱心ではない信者さんよりクリスチャンライフを送っているかもしれませんね。
実は、私は聖書の”奇跡”のお話があまり好きじゃなかったというひねくれ者。”奇跡”を見なければ、神様やイエス様のことを信じない、そんな人間の心がなんだかとてもイヤだったのです。別に神様やイエス様が嫌いなわけではないんですけど。。
そして、キリスト教に限らず、信仰は現世利益であってはいけないと思っています。現世利益のために神に祈るというのは神さまをダシに遣っているような気がしてとてもいやです。熱心に信心して、その恵みのひとつとして病気が治ったとか、ちょっと良いことがあったというのなら理解できるのですが。
本当に辛いなという時に神さまに頼り、神様を庇護所とすることは神さまは喜ばれると思うけれども。。いつもこの世的なお願いの祈りばかりするのはどうかと思います。だから、お正月だけの神社への参拝も観光だけの寺社参拝も葬式仏教も、私は嫌いです。
だけど、神さまはきっと『なんでおまえはそんなにひねくれ者なのだ?』と思われていることでしょう。『真直ぐにわたしのもとへきたらいいのに』と言っておられると思います。
正に、今日のこの祈りは、わたしの心を揺るぎないものにしてください!ということなのだろうと思います。そうか。。やはりわたしのために書かれた祈りの言葉だったか。。 🙄
信者じゃないのに家にはやはりピエタ像の御絵があったりします