心の値打ちの高い人

大切な言葉

 

先日、全国特別支援学校知的障害教育校PTA連合会で講演された向野幾代さんは、養護学校教諭、校長、障害児教育センター長の経歴をもち常に福祉の現場に携わってこられた方です。現在は、NPO重度心身障害児の「かかしの家」の理事長さんをされているそうです。

向野さんのお父様は、重度の脳性麻痺。家の玄関にお客様がいらっしゃると、せん足位で歩いていくと玄関先の方を押し倒してしまうので、お父様は這っていかれたそうです。

その姿にお客様はビックリして
「シッシッシッ、近寄らない、汚い、お前は引っ込んでいろ」と。。

いつもその問答が玄関先で繰り返されていて、
或る時、幼い幾代さんはお父様に尋ねたようです。

「お父さん、悔しくないの?」

「ちっとも悔しくない。私はこの身体を生きるおかげで
わかることがある。世の中にどんな立派な服を着て
名刺を差し出しても、心の値打ちの低い人がある。
父さんは、この身体を生きるおかげで、心の値打ちの
高い人に出会って生きていけるから悔しくない。」

 

普通なら、被害感いっぱいで生きていてもおかしくないのに、
自分の子供に毅然と「人として」あるべき姿を伝える。

幼い、まだその意味を理解できない子供であっても
「本当の幸せ」の意味を伝える。子供の心に善い種を蒔く。。

ところで、皇后美智子様の「育児」に関するお言葉の中に
「私(たち)は、幸せな子を育てるのではなくて
困難な状況でも乗り越えられる子を育てるのです」
そういうお言葉あったと思うのですが、
自分の障がいや苦境を受け容れて、そこから学ぶことを
知った人は、精神的に強い人になれると思います。

向野さんのお父様は、
仏教に関する著書を書かれたということなので、
精神的背景には信仰があったと思われます。
だからこの様なことが言えたのではないでしょうか。

幼い子の将来の心の広がりのためには、
親として(心のなかでは色々と悩みながらも)
毅然と伝えなければならないことがあるし、
信仰者としては、神仏は何故この身体を
自分に与えたかを問う人生だったと思います。

今の世は、ノーマライゼーションがすすんで
少しずつ差別がなくなってきていますが、
向野さんのお父様の時代は本当に差別と偏見がきつく
苦悩の日々だったと思います。

しかし、そんな逆境の中でも人としての本当の値打ちを
知っておられたのが向野さんのお父様だと思います。

 

 

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