◆第三章「地方人としての暮らし」~失敗した薩摩守忠度◆
私がインガシヤで働くようになって半年ほどが過ぎた七月頃の事である。
その日は山にある本部の製材荷下ろしのため、T氏、N氏そして私の三名が派遣された。仕事は二時間ほどかかり、終了したのは午後三時頃だった。私たちは気持ちのいい汗を拭きながら、一服マホルカをふかしつつ、皆で帰りの方法を考えた。相談の末、結局街に出て汽車で帰る事になった。初めて見る周囲の景色を眺めながら駅に向かって山を下りて来た。二キロ位歩いて田舎の駅に着いた。驚いた事に構内に木材の山が何ヵ所もあった。ここはまさに丸太の街であった。
この街からインガシヤまで、何キロ位あるのか、汽車の料金はいくらかかるのか?皆目分からず、我々は心配しながらしばらく木材の陰に身を隠すようにして腰を下ろし、ひと呼吸入れたのである。我々はその時一斉に『薩摩守忠度』を決め込んだのであった。
ソ連の汽車の連結はかなり長く、機関車は二両で引いて行く。申し合わせは最後の列車の昇降口に乗る事に決めて、発車を待っていたのである。
何分停車したのか、やがて汽笛が鳴りシベリヤ本線上り列車は静かに動きだした。我々はしゃがみながら徐々に客車の方に近づいて行った。間もなく最後の客車を見ると一斉に階段に飛び乗ったのである。我々は違反乗車の心配をしながらも、しばし涼風に生気を取り戻したのであった。五分ほどした頃、ノックがあって四〇才位の男性車掌がドアを開けて顔を出した。「ヤポンスキー、アット、クダー」<日本人、どこまで行くの?>と声を掛けて来た。私は一瞬ひやっとしたがとっさに「インガシヤ」と言った。車掌は「ダワイ、トリールーブル」<三ルーブル出しなさい>と低い声で請求した。我々はすぐ各々三ルーブル渡すと、彼はワシづかみにしてドアを閉めて消えて行ったのである。
我々は今渡した九ルーブルは、あの車掌のポケットマネーになったのだと即座に感じたのであった。
三〇分ほどして我々の部落に列車は停車した。我々は静止するのも待たず、一斉にホームに飛び降りたが、それを見ていたのは駅長の太ったマダムであった。マダムは我々と顔馴じみなので、よくもこの大シベリヤ本線を無賃乗車したものだ・・・と思ったのであろう、ニコニコ顔で迎えてくれたのである。
我々はこの事実をマダムに説明しながら、夕陽の映える小さな駅のプラットホームで、腹をかかえて大笑いしたのであった。
※諱が「ただのり」であることから、忠度の官名「薩摩守」は無賃乗車(ただ乗り)を意味する隠語として使われている。(wikipediaより)