◆夕日のバーニヤ◆

 

◆第三章「地方人としての暮らし」~夕日のバーニヤ◆

  一九五三年(昭和二十八年)七月、この季節のシベリヤは猛暑ではあるが、また真夏のもっとも楽しい時期でもあった。

その頃私達の現場では、街のやや中央の住宅街に建設されていたマンションの基礎工事をしていたのである。その仕事は幅一メートル深さ二メートルの穴掘り作業で、それが出来次第に次は石切山から運び込まれた岩石を一輪車に積み込み板の上を運搬して掘り下げた溝に投げ入れるのである。あとはロスケがミキサー車からセメントを運んで固めるのであった。この仕事は真夏のせいか掘った穴の中には五十センチほど水が溜まり、上から石を投げ入れるため泥水が飛び散って、ズボンは無論顔と裸の上半身は泥まみれになった。それでも気温がたかいので仕事が終わる頃にはズボンがガバガバに乾いたが、裸の部分と顔は痛いほど突っ張った。

私たちはウォッカ工場のそばを通って帰るのだが、門から一〇〇メートル位塀に沿って来ると、工場廃液の温水をエニセイ川の支流に流しているのである。その場所は年中、女性の洗濯場となっていて、そばでは子供達が大勢水遊びをしていた。

 この温水は工場の二階から木製の桶で、二、三〇メートルほどの距離を二十五度くらいの傾斜で音を立ててながれていたのである。この桶の中に我々が足を踏ん張って縦になって寝ると、ちょうど肩幅と同じ位の幅があって、さながら温水の滝にでも打たれているような感じである。こんな気持ちのいい風呂に入ったのは七年振りのことで、しばし満足感にひたった。三人は夕日を浴びながら大声をあげてはしゃいだのである。さすがロスケ達は“きまりが悪いのか”誰も入らないので、これは我々三人の専用バーニヤであった。五〇メートルほど離れた下手で洗濯をしていたマダム達は、さぞかし「あのヤポンスキー・・・・・」と言って呆れていた事だろう。そう思うとおかしくもあり、またずいぶん思い切った事をしたものだとも考えるのである。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
みーさん
みーさん

小さな事に楽しさを見つけて暮らしていくことが大切なのだ、といつも叔父様の手記から教えられます。昨夜のドラマ「不毛地帯」でも悲観的になった捕虜の方は若くて体力があってもダモイ(帰還)できませんでしたね・・・。

mimicoco
mimicoco

みーさん♪ 伯父の文章を読んでいると、好奇心の塊のような性格。色々な労働をしながら生きる智慧を磨いていったようですね。精神的なたくましさも身につけたようです。 この体験記も あと二日分です!いつも読んで頂き有難うございます♪

 
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