◆夏の夜と父の死◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~夏の夜と父の死◆

    一九四九年八月のこと、私が六〇三号収容所にいた頃である。「コムソモリスク」に向って鉄道線路開通のため、収容所が一丸となって工事作業に頑張っていた。 その頃は日本人とも次第に離ればなれになっていった。この収容所では私が一人になってしまったこともあった。

班長はロスケで、朝出勤の時には「ヤマモート」と声をかけてくれるようになった。
ここシベリアも真夏ともなれば一時期かなり暑い日があった。私は毎晩のように攻められる「クロペ」〈南京虫〉の襲撃をさけるために、二人のロスケと共にバラックの外へ出た。適当な場所を見つけて、そこで寝ることにした。バラックの中の空気よりはずっとさわやかであった。何故もっと早くきがつかなかったと後悔した。監視櫓の歩哨兵もこっちを見ていたが別に注意もしなかった。

昼間の労働に疲れている私は、ロスケから貰って吸った一服の煙草ですっかり気持ちが良くなって、まだ夕日が沈まないうちにグッスリ寝込んでしまった。大分眠ってから「パッサージ」〈小便〉の合図で眼が覚めた。私は藁布団の上に起き上がって、夏の夜空に瞬く北極星、そして七〇度の角度に北斗七星を見たのであった。用を済ませて再び毛布の中に入り、仰向けに寝ながら見上げた夜空は初めてのことであった。その時フト思った。家族もこの星を見ているだろうか、と考えたら急に涙が滲んできた。

夜中に私は夢を見た。親父と二人で屋台の腰掛に腰を下ろして、ソバを食べているところに、軍帽のいかめしいロスケの将校が鋭い眼つきで暖簾を両手でまくり上げ、こちらをジーッと睨んでいる夢であった。

朝方、露が降りた寒さで目が覚めた。いやな予感を覚えた。親父に何かあったのではないか、急に落ち着かなくなった。しかし、誰にも胸のうちを言えずいやな日がしばらく続いた。
この夢のことは、一九五四年三月二〇日舞鶴に上陸した時、出迎へに来てくれた京都の叔父さんから知らされた。
親父が亡くなったのは、丁度その頃で昭和二十四年八月六日であった。

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
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