◆第三章「地方人としての暮らし」~仕事を探して◆
トラックの上は濃い霧に包まれていた。「マローズ」〈寒波〉がやって来たのである。カラ松林がシベリヤ大地にぼんやりかすんで見えた。私は厳しい寒さを我慢しながら、今走っている山小屋への道を、今朝は昨日と逆に街へ向って山を下っている事が不思議に思われた。その時フト、自分が今この地で生きている事を再確認したのである。トラックは間もなく事務所の前でとまった。
私は「ナチャ-ニック」〈所長〉に会わす顔もなく、ただ早足に理髪店に向かう。そして道々に彼S氏に対する口上を考えながら、乳白色に煙る町並みを急いだのである。
理髪店に着いたのは九時頃だった。S氏には山での事情を説明して了解してもらい、再び世話になる事にした。少々肩身の狭い思いをしながらも、雪投げや庭掃き、店の掃除などを手伝った。それから三日後の日曜日を利用して、彼が時々出張サービスをしている二〇キロメートルほど離れた東方のインガシャという集落に、日本人が十名ほどで貨車に丸太や製材の積み込みをしている所があり、そこへ連れて行ってくれると言うので、二人で列車に乗ったのである。
目的地に着くと彼等のバラックに案内してくれ、私を皆に紹介してくれた。ここは樺太からの人達が八名、千島からの一人と九名で働いていた。彼等は殆どが密航者で、二、三年の刑を終えた人達ばかりであった。
班長のM氏は敷香の人で統率力のある立派な人物であった。私の様子を見て分かったのか、何でもたくさん食べて早く元の体力を付けるようにと、私に何がしかのお金を貸してくれたのである。
それからは私なりに張り合いも出て、昼夜を問わず駅の引き込み線に入る貨車の丸太積み、ワゴン車の製材積みと、皆に負けじと働いたのであった。
ここの工場では我々とロスケとで、多い日には二〇名位が働いていた。ロスケの責任者が一人駐在していた。本社はインガシャから十五キロメートルほど離れた山の街にあって、造材部門や製材所等もあった。私はここで、初めて給料を手にした時の喜びを今でも忘れる事が出来ない。
それから部落の新顔として「マガジン」にも買出しに出入りする事が出来たのである。

ロシアってある日突然、冬になるんですよね・・・。お給料もらえておじさまは本当にうれしかったと思います。

みーさん♪ そんな急に冬になるんですか?朝起きたら。。いきなりドカ雪とか?今までは、無償でしたから。。お給料を戴いたときは、本当に嬉しかったでしょうね。