◆今夜はソ連兵◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第三章「地方人としての暮らし」~今夜はソ連兵◆

  カンスクに来て、初めての秋が近づいて来た。
工場の敷地から100メートルほど離れた所に、帰化している中国人の農家が三、四軒あった。そこは人参畑で生計を立てていたのである。

 ある日、夜業の休憩時間にミキサー係のロスケが、我々三名に「パイジョン」<一緒に行こう>と言って外に出た。私は何か手伝うのかと思った。五〇メートルほど行くと、そこは人参畑であった。ロスケは我々にホフク前進せよと手まねをした。我々は“今夜はソ連兵”としてその指揮下に入ったのである。敵は本能寺にあらず、中国人の人参畑であった。その時私は再び囚人に戻る事を恐れ、いささか恐怖感を覚えたが、引くに引かれず夢中になって手当たり次第に引き抜いた。十五本位腹で押さえて、皆と一緒に引き上げたのであった。獲物は五、六本を娘達にくれてやり、皆で葉を残さず始末して、その夜、それぞれ持ち帰ったのである。

翌日も夜業であった。皆で休憩している時、中国人が一人談判にやって来たが、ロスケ達に言いまくられてすごすごと立ち去った。しばらくして皆で大笑いした。私も笑ったものの、何となく中国人に申し訳なく気がとがめた。ミキサーのロスケは“お前の家の犬も何をしていたのだ”と笑いながら喋りまっくっていた。

これは長い秋の夜業での生活劇の一コマであった。

 

《出典》 「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛

 

みーさん
みーさん

おじさまの優しさが伝わってきますね。ロシア人は対中感情悪ですからね・・・。

mimicoco
mimicoco

みーさん♪そうか。。対中感情悪なんですね。伯父は、みつかったらまた囚人だという恐怖感でいっぱいだったと思います。

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