◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」
~ラーゲルでの「バーニヤ」〈入浴〉 ◆
ウルガルでの最初のバーニヤの時の事である。班長に連れられて、バラックから二〇〇メートルほど離れた建物の前に来た。バーニヤと小さなロシヤ文字の看板が見えた。先頭の者がドアを開けたとたん、どっと蒸気が出て湯気がもうもうと全身を包んだ。厳しい外気のせいであった。
私は皆に続いて二〇畳ほどの部屋に入った。そこはロスケの床屋が薄汚れた白衣を着て待っていた。部屋の壁には衣類を通してかけるための、八番線の輪が三〇センチほどの間隔でたくさん掛けてあった。
床屋は右手に不格好で大きなバリカンを持ち、面倒くさそうな顔つきで“この椅子に腰掛けろ”と言った。我々の頭は無論囚人刈りで、幾筋にもリスの様に縞をつけて刈った。それは囚人であるという目印であった。
それが終わると、次は椅子の上に両足を広げて立てと言った。男子だけなので別に笑うものもいない。伝染病防止のため無駄毛は腋毛、シンボルの毛も、総て剃り落とすのである。三十人以上の始末も忽ち終わり、次のドアの前で盆に並べたキャラメルほどの石けんを一個ずつ取って浴室に入った。その瞬間、コンクリートのあまりの冷たさに、思わず飛び上がった。
浴室には長い椅子が三、四列並んでいた。壁の一方には大きな湯タンクが据え付けてあって、横には湯桶がたくさん積んであった。タンクの前ではロスケのサン助が、一人づつに蛇口から湯を配給していた。湯は桶に二つだけなので、体につけた石けんをよく落とすこともできずに、浴室からでなければならなかった。
そこを出て、次の部屋に行くと、脱いで置いた衣類の総てに熱気消毒がしてあった。それを着た時は嬉しくなるほど温かかった。ホッとしたのも束の間、外へ出ると又厳しい寒気が身に突き刺さった。バラックに着くまでにはすっかり冷え切ってしまうのである。
当時は年齢も若かったとはいえ、そんな状態にあってもよく風邪もひかなかったものと不思議にさえ思えてくる。