◆パンと煙草◆

 

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~パンと煙草◆

 

 ラーゲルでのロスケ達の手紙や小包を取り扱っているのは『文化部』で、そこの部長を「ハジャイン」〈主人〉と呼んでいた。我々にとってハジャインとは、せめて煙草をせびる位の付き合いであった。

郵便物を受け取った奴等は、急に嬉しそうな顔をして、家族からの手紙を見せ合ったり、小包を開けては仲間の者に羨ましがられるのが、何とも言えない気持ちらしかった。我々にもその気持ちは痛いほどよくわかった。

ロスケに送られてきた「マホルカ」〈自家製タバコ〉を買うために、朝の配給のパンを奴等に与えて頼むのである。ただでさえ足りない主食のパンを手放す時の気持ちは、経験者でなければ分からない高価な売買なのである。

五〇〇グラムのパンを一個渡すと、マッチ箱にスリ切りならして、マホルカを五杯測ってよこすのである。実に貴重品そのものであった。

取り替えて吸った煙草の最初の一服の味は、五臓六腑に滲み渡り、寒さも空腹も忘れて、この時ばかりは我身が「ザクリチョンネ」〈囚人〉である事を、暫し忘れるほどのひと時であった。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
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