◆パキスタン人と陶芸◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~パキスタン人と陶芸◆

  トムスクのラーゲルの作業場は、街の中を十五分ぐらい歩いたところの町はずれにあった。そこはオビ川の支流が通り抜けていて、かなり広い範囲に塀が巡らされていた。囲いの中には木工場、木材乾燥場、木工製作所、陶器工房など今まで暮らした収容所とは全く違った雰囲気であった。

そこの生活に少し馴れてきたある日、物珍しさのあまり、一人で休憩時間を利用して見物をしながら歩いて見た。ひょっとして日本人に会えるかも知れない、と思ったが残念ながら東洋人には一人も出会わなかった。

見物をしながら、わたしが最も興味を持ったのは陶器工房であった。中年のロスケが一生懸命ロクロを回しながら、壷を作っていたのである。この辺で粘土が採れるのだろうか、こうして自分の趣味を生かせる囚人は幸せなものだと思った。ここはラーゲルではなく、職業訓練所ではないかと、羨ましく思いながら見学させてもらった。口髭をつけてロクロを回していた人はロスケではなく、中央アジアの人種、パキスタン人であった。

現在「貴方の趣味は?」と人に聞かれると、私は「絵画と陶芸です。」と答えるのであるが、考えて見ると私の陶芸はこの辺から芽生えたのかも知れない。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛

 

みーさん
みーさん

おじさまは極限状況にあっても好奇心をお持ちで前向きですね。見習いたいです。

mimicoco
mimicoco

みーさん♪そうなんです。。子供のように好奇心一杯ですよね。もしかしてここ(収容所)は、職業訓練所ではなかろうか。。という辺りは、伯父のおおらかさが出ているような感じがします。

 

 
 
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