◆トランプ作り◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~トランプ作り◆

 ロスケは寒さに強いばかりか、すぐれたアイディアを生み出す国民である。まことに感心するばかりであった。無論、経済的な面からくることもあろうが、その“不自由さを楽しみながらカバーする”しぐさが逞ましくもありこっけいでもあった。

先づ豊原刑務所での若い水兵による「赤いチョッキ」、便器の蓋で造った「火縄」、その都度私は感歎したものである。

これはコムソモリスクにいた時のことである。ロスケが新聞紙を広げ、黒パンを「メシキ」〈食器〉の中で練って、それを布切れで漉したり、絞ったりして糊を作り、三~四枚の新聞紙を張り合わせた。それが乾燥するのを待って、次は編上靴の踵にかくし持っていた安全カミソリの刃を、やおら持ち出して幅五センチ、長さ八センチほどに切った。私は何をするのかとジッと見ていた。すると彼はそのカードを二センチほどに重ねて、満足そうにテンを切る仕種をした。私は“ああ、トランプだ”と直感した。

次に彼はベッドのしたからガラスの破片と、タイヤの切れ端を出して油煙をつくったのである。その油煙に配給された少量の砂糖を混ぜて黒い色を造った。それをあらかじめ切り抜いておいた、クローバーとスペードの型紙でカードに刷り始めたのだ。私は思わず「ハラショー」〈すばらしい〉と賞賛した。

次は煉瓦のかけらを石で砕き、砂糖を入れて練り合わせる。赤の代用色を造ったのは言うまでもないことだった。

私はつくづくロスケ達の名アイディア『ラーゲル学園』での美事な工作品の数々に教えられたのである。

そこまでは私も大変感心したのだが、その遊び方たるや、ラーゲル独特なもので、着ている衣類は勿論、果ては寝具まで賭けて、裸一貫になるまでの勝負をするのであった。結局、負けた者は翌日仕事にも出られず、「カルツエル」〈留置所〉のお世話になるのである。

 

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛

 

みーさん
みーさん

ハラショーと言えたおじさまの心がオーチンハラショー(とっても良い、素晴らしい)ですね。賭け事をするとロシア人は深みにはまるようです・・・。

mimicoco
mimicoco

そうですよね。。とっても辛い生活をしているとは思えない。。
「ラーゲル学園」と表現する伯父が面白い♪

 
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