◆第一章「シベリヤまで」~シベリヤまで Ⅴ◆
二月も真近な強い日射しの午後、石畳の坂道を二〇分ほど登り切った高台に、我々の軍団二〇名が到着したのである。
ここウラジオの「チョルマ」〈監獄〉は帝政時代からの遺物で、レンガ造りの四階建、壁は一面苔に覆われて貫禄そのものであった。長い歴史の中で多くの囚人達は、いろいろの思いを抱きつつ過ごしていたことだろう。極東シベリヤの各地に散って行った者、またこのチョルマで一生を終えた数多くの囚人達、それらのことを想いながら、この国の暗い歴史を感じた。自分もこの先どうなるのか、とただただ不安と不気味さが一そう募ったのである。
我々はチョルマの正門広場に集合していたが、獄舎の中にはなかなか入れる気配がなく、何やら書類を持った輸送指導官と受け入れ側との話し合いがつかないのか、待っている身は午後の日射しを受けながらも、寒さが身に沁みてきた。我慢しきれなくなったロスケ達が、早く中へ入れるようにとわめき出した。間もなく、奴等の先頭から中に入り、その後に我々も続いたのである。その瞬間、今までかって嗅いだことのない独特な異臭・・・・・。チョルマの臭いが玄関先から廊下は無論、おまけに薄暗い獄舎の中は温度の高いジメジメした空気が充満して、何ともたまらなく吐気をもよおした。あの時の気分はいまだに忘れられない不愉快なものだった。
奴等の姿はもうどこにも見えなかった。廊下を少し行くと女性の中尉が座っていた。机の上の書類を見ながら、一人一人の囚人と首実検をしていた。私も名前、生年月日、犯罪条項、刑期、人種等、問われるままに、たどたどしいロシア語で返答した。更に五〇メートルほど行くと、そこには一人の監視兵がいた。小さな机を置いて金網が張ってあった。彼は関所の番人らしかった。一人づつ施錠は外しながら通していた。我々は十名ぐらいづつにわけられて中に放り込まれた。いよいよ私も、極東随一の由緒ある監獄の囚人として、観念せずにはいられなかった。ウラジオのチョルマ生活が四・五日つづいたのは、休養と寒さに慣らすためだと誰かが言った。
~ to be continued ~