◆シベリヤまで Ⅱ◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第一章「シベリヤまで」~シベリヤまで Ⅱ◆

シベリア抑留体験記

  真っ暗い貨車の中は正に闇夜の烏であった。プーンとなんとも言えない異様な臭いが鼻をついた。私は貨車の隅を手探りで探した。冷えきっている壁に背中をすりつけながら、風呂敷包みを重ねてその上に腰を下ろした。皆は不安そうに、“この汽車は北へ向かうのだ”とか、また“南下するのだ”とか、思い思いの事を興奮しながら口走っていたのである。その時、誰かが吸うのか煙草の匂いが鼻をついた。しかし自分は囚われの身、喉から手の出るほど吸いたかった気持ちは、今でも鮮明に覚えている。

冷えきった貨車の中の空気も、時間がたつにつれ幾分和らいできた。その時ふっと思った事は、脱走もできずさりとて死にたくもなし、後はどうにでもなれと腹を決めたとたん、急に下腹が異常を訴えた。急いで、手さぐりで安全な場所を見つけた。音を立てないようにソッとしゃがみ込む。その時は心の中で、なんとなく念仏を唱えずにはいられない気持ちであった。“臭い、誰だ、踏むなよ”と怒声。自分ながら鼻が曲がるほどの異臭を放った。それでも腹の中は急にスカッとした。野糞ならぬ貨車の中での脱糞・・・・・。我ながらひどいものだと思った。とは言っても、ひと時この世の天国のような気がした。ほっとした思いで再び壁づたいに所定の場所に戻った。

それから数時間後、扉のすき間からかすかに朝日が射し込んできた。その頃、貨車は大泊港駅に着いたようであった。しかし、我々は日暮れまで車外には出されず、そのままの状態であった。

冬の一日は暮れるのも早かった。再び暗闇の中で皆黙りこくった。これから先の不安と家族の心配が一気に募って、いたたまれない気持ちになったのである。

食事を二日も摂っていない事に気づくと、急にふらついてきた。その時ガヤガヤと監視兵の話し声と靴音がした。皆は息を止めて、判らないロシア語に聞き耳をたてた。靴音は貨車の前で止まった。ガシャッと錠前を外す音がして、ガラガラと重い音で扉が開いた。とたんに冷たい港の外気と、鈍い灯りが貨車の中へスーッと入ってきた。監視兵が「サア、着いたぞ。扉の近くの者から順に早く降りろ」と右腕を振り急ぎ立てた。わたしはサァッと飛び降りた。まさしくそこは第二の故郷大泊であった。二年振りに見る懐かしい街の灯よ・・・・。何ともいえない気持ちになった。残してきた家族の顔が、つぎつぎ眼に浮かんで涙が滲んできた。

港には腕章をつけたシベリヤ輸送の将校が三名と、煙突に赤いハチ巻を付けたソ連の貨物船らしい大きな船がドカッと横着けされていた。我々囚人を迎えに来ていたのだ。私は咄嗟にいよいよこれで日本、いや住み馴れた樺太、そして一番懐かしい大泊とも最後の別れになるのだと思った。途端に涙が一どに溢れ出た。

いよいよ乗船開始となり、シベリヤ送りが始まった。その時、何故かロシア人は一人もいなかった。一列縦隊になって、船体の乗船梯子の方に向かって動き出した。私は二個の風呂敷包を背中にしっかりと担ぎ、皆に続いて登り始めた。梯子の途中に立っていた将校のムチが私の荷物にもビシッと当たった。一瞬馬に鞭、の感じで急に緊張した。ただ夢中で後に続く、将校は員数をかぞえていたのであった。甲板を登り切ると私の前の囚人が、十メートルほど先の通気筒かと思われる直径一メートル位の曲がりの筒の中に消えて行った。次は自分の番だ、気持ちが昂ぶりただ無我夢中で、荷物をしっかり持って足から入り込んだ。一瞬、筒の中は真っ暗で、まるで地獄にでも転落するような心境だった。尻から落ちた瞬間、私はびっくりして手の荷物を放り出してしまった。落ちたところは、石炭を入れてある船艙であった。そこは真っ暗で何も見えない。しかし、先に入っていたロスケの囚人共が、散らばった我々の荷物を、我先にと奪い合いの修羅場と化していたのである。

暗くて狭い船底の中では、喜怒に燃えているロシア人の声と、ぼやく東洋人の声が交互に乱れ飛んでいた。私は恐怖の余り、ひたすら壁にへばりついて立っていた。

~to be continued~

 

《出典》 「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
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