◆第三章「地方人としての暮らし」~ウォッカと女性ナチャニック◆
一九五二年(昭和二十七年)十二月の初め頃であった。我々三人はウォッカ工場に三日間、地下の古くなったケーブルの撤去工事のため派遣された。最終日は特に寒さの厳しい朝で、空には雲が一面銀色に垂れこめていた。ロシア人は厳寒を「マローズ」と呼んだ。その朝の気温は氷点下四十度はあったと思う。煙突から吐き出される煙は、空に立ち上る事も出来ず、横に静かに流れている状態であった。工場の高い櫓や、三階四階の建物は、モクモクと立ち込める蒸気に包まれ、暖房のないと思われる倉庫、階上の渡り廊下などの個所は工場の雑音の中で、黒く薄汚れた部分を見せていた。また、工場内を行き交う「アラボーチ」<労働者>の姿が、蒸気の中で忙しく動いている。
我々の仕事は凍った地下の古いケーブルを引き上げる作業である。シベリヤでの冬の穴掘りはまことに重労働であった。深さは一メートル位だったがなかなか前進できないまま、三日間が過ぎた。三日間で我々の引き上げたケーブルは、わずか十メートル位のものである。五時頃になって我々は道具を一ヵ所に集め、発電所の事務所の前の玄関に腰を下ろし、寒さの中でマホルカを巻きサイレンを待ちながら休憩をしていた。
ちょうどその時、事務員らしい娘がガラス製の容器に水を入れ、片方の容器にウォッカを入れて、我々の腰掛けていた後ろに「サァー呑みなさい」と言って置いた。我々は突然のことで、びっくりして顔を見合わせた。私が訳を聞くと、ここの「ナチャニック」<所長>は女性であることが分かった。ナチャニックは我々日本人が一生懸命働いてくれた事への感謝なのか、それとも作業の最終日だったためなのか?また、格別寒さの厳しい日だったからか?とにかく彼女からのサービスであった。ところで大変気持ちは嬉しかったが、残念ながらあいにく三人共アルコールに弱かったのである。そのまま何とか言ってウォッカを返した事はまことに失礼だったと思っている。これがロスケだったら奪い合いだったろうに、と思わず苦笑した。
その時私には、見たこともないのに所長は気持ちの優しい女性なんだナーと思われた。どんな女性なのか顔も見られず、「スパシーボ」<ありがとう>の一言も言えず、夕暮れの門を出たのである。そしてこの工場には二度と入ることはなかった。

ロシアでは寒い日、寒波が来ると「マローズが来た」と言います。寒い日にはロシア人はウオッカとスープです。ここの所長さんは日本人が勤勉なのでびっくりしたと思いますよ。どんなところでも手抜きしないおじさまはのような方がいらして、日本人の国際的な信用は高くなったと思います。

みーさん♪ ウォッカを飲むとカ~~~ッと熱くなりますよね◎ いかにもシバレル(笑)ところの人が呑むお酒ですよね。
多分、伯父のする仕事は何に関しても丁寧だったと思います。ウチの父も物凄く神経質で几帳面な性質(たち)でした。。ロシア人にとっては 特殊な人種(笑)に思えたかもしれませんね。