◆第三章「地方人としての暮らし」~うしろめたい気持ち◆
私が車に乗った時、もう一人新しい「シューバー」〈毛皮〉を着たロスケが一緒に乗った。トラックは一時間ほどカラ松林を走って、ある集落に着いたのである。
突然、毛皮のロスケが「パイジョン」〈一緒に来い〉と声をかけて、車から飛び降りたのである。私はあまり突然だったので、一瞬びっくりしたが、彼の言う通り車から降りた。彼はそこから一五〇メートルほどの所にある、自分の家に私を案内した。家の中からマダムが出て来て、愛想よく「ヤポンスキー、パジャルスター」〈日本人どうぞ〉と言って、私の帽子をとるやら汚れた穴だらけのシューバーを脱がせてくれるやら、とても親切に私を迎えてくれたのである。彼女は私にペチカの側に来てあたるようにと、椅子を持って来てくれた。そして主人と私に食事の用意をしてくれる。私は昔の知人にでもあったかのような錯覚で、胸が一杯になった。その時、久し振りで食べて実のたくさん入った熱いスープの味は今でも忘れられない。
マダムが言うには、一昨年までは日本人を何人も使っていたとの事である。「スズキ、タナカ、サトウ」など何人かの名前を揚げていた。そして彼女は私に気を遣ってくれてか、造材山に入ってもロスケと何人かの中国人だけなので、私がその中に入っても大変ではないか、と言うのであった。それに現場まではここから歩いて3キロメートルもあると言う。
しかし、私にすれば紹介してくれたS氏の顔もあるので、一応行くだけは行って見ようと思い、親切なロスケ夫妻に別れを告げて夕焼けに映える静まり返った雪の山道を、陽の沈まぬうちにと急いだのだった。
山小屋に着いた時はもうすっかり日が暮れて、何となく気持ちが悪かった。小屋のドアを開けると、仕事を終えたロスケ達が五~六名いて、一斉に私を見た。私は一番からだの大きなロスケに、持って来た添書を渡した。彼はそれをサァーッと読み終わると、「所長は町に出て不在である」と言った。何も持たずに来た私を見て驚いたらしく、馬鈴薯と鍋、ナイフを渡し一人で煮て食べるようにと言ったのである。
私は一先ず夕食を終えた。ロスケ達もそれぞれ寝ぐらへ帰ったのか、小屋に残されたのは私一人になった。私はそのまま、長椅子に横になってしばらく寝た。そのうちに寒さと体の痛さで眼が覚めた。その頃はもう外は薄明るくなっていて、ロスケ達の話し声がしていた。
その時、急にマダムに言われた事を思い出した。そして自分自身も、ここでの仕事は続かないような気がした。外ではトラックのエンジンの音がしたので急いで飛び出した。誰にも挨拶もせず、トラックに飛び乗ったのであった。
昨夜馬鈴薯をくれたロスケには何とも申し訳ない気がして、私は心の中で詫びながら、無言で立ち去る事の後めたい気持ちで一杯であった。

ロシア人マダムは日本人の勤勉さを知っていたから、おじさまに親切にしてくれたのでしょう。それにしても・・・義理堅いおじさまですね。古き良き日本人を知らされます。

みーさん♪ここでも良いロシア人(マダム)に出会えて良かった!馬鈴薯を分けてくれたロシア人に黙って立ち去るのは。。本当に申し訳なかったのでしょうね◎