◆ロスケ水兵の特技◆

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~ロスケ水兵の特技◆

 

 豊原「チョルマ」〈刑務所〉の未決囚の時であった。私とロスケの若い水兵と、それに「ウィルタ」〈オロッコ〉の三人が四畳一間に入れられた。お互いに手まね、足まねの不自由な会話の中で、罪状等を披露し合った。そんな事でいくらかでも部屋の空気が和らいだものだった。同室の三人は五十八条、即ち政治犯であった。

ロスケの水兵は十二月だというのに、海軍シャツ一枚で引き廻されていたらしい。チョルマの中では、一日一回の運動といっても高い塀の中で、ただ冬空を眺めながら寒くて狭い所をグルグルと歩き廻るだけである。

その時、水兵がガラスの小さな破片を拾って来た。私は何をするのかと思っていた。彼は寒さに耐えかねて思いついたらしく、未決囚に支給されている赤い囚人専用の綿入丹前を裁断して、布から糸を抜いていた。それを縒り合わせて、爪楊枝の針で綿入れのチョッキを一日で縫い上げたのであった。彼はニヤニヤしながら、早速手を通して喜んでいた。その格好が、丁度猿に似ていたので私とオロッコは声をおさえて笑った。

 

 

それから四・五日経ったある日、監視兵が私に、“差し入れ”と言って、少量の「マホルカ」〈煙草〉と、新聞紙を持って来た。その時、私はとっさに奴等が殆どの品物を取りあげて、せめて煙草ぐらいは・・・・・と、奴等の苦々しい親切からかと、腹立たしさを感じた。しかし、これが私の手に渡った家族からの心許りの差し入れであった。

さてマホルカは手に入ったものの、マッチ等あるはずはなかった。その時、水兵は、す早く先に裁断してあったみじめな姿になった丹前を引き出してきて、綿を抜いて十センチ程の長さに縒りをかけ、堅い太めの糸を作った。私とオロッコは、何をやり出すのかと好奇心で見ていた。

次は別の綿を先の紐の長さに合わせて、ま四角な形に床の上に置き、先の紐を芯にして、中指程の太い綿棒を作ったのである。私の好奇心は益々高まり、ジッと彼のする事を見ていた。次に入口の右隅にある大きな便器の蓋を使って、綿棒の上から力いっぱい摩擦を加えたのである。すると綿棒の中程から微かな煙が出て、火縄ができたのである。三人は顔を見合わせた。その時、水兵の特技につくづく脱帽したものであった。水兵が得意そうに眼を輝かせて、微笑を浮かべていたのが印象に残っている。

狭い囚房の中には、久し振りで煙草の煙が漂ったのであった。

 

《出典》

「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
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