◆モク拾い◆

 

私の伯父:山本剛は、1990年9月彼の戦争体験を『凍原の思い出~私のシベリヤ体験記』という一冊の本に仕上げました。当時、平和な暮らしの中にあって、戦争の悲劇を再び起こさぬように申し伝えることこそ、自分の責務であると感じ、晩年貪るようにひたすら書き続けました。(挿絵も伯父が当時を偲んで描いたものです。)今は亡き伯父の思いを引き継ぎ、姪である私が顕して行きたいと思い公開しているものです。沢山の方々にこの体験記を読んで頂ければ幸いです。※今年は、以前この記事毎にコメントを下さった方とのやりとりを載せてみました。コメントを下さった「みーさん」は、ご家族と共に何年かロシアに滞在したご経験のある方です。私の伯父の日記の内容を膨らませ豊かにして下さり心から感謝して居ります。

◆第二章「ラーゲル生活あれこれ」~モク拾い◆

六〇一号での真夏の日曜日のことであった。
バラックの中は大半が寝ている者、鋼鉄線で針を作っている者もいる。「アベード」〈昼食〉を待つ間のひと時であった。

私は煙草が無性に吸いたくなって、一人で外へ出た。それは囚人(日本人)の偉い人でも散歩と称する『モク拾い』のためであった。私は路面をキョロキョロと見ながら、文化部の前に来た時、とっさに何か自分にできる「ブマガイ」〈手伝い〉のような仕事(看板の地塗など)はないものかと思い、中を開けて見回した。作業場には整頓された古看板と、使用中の塗料と筆が無造作に置いてあった。

「ハジャイン」〈主人〉は奥かと部屋のドアを開けて覗いたが、そこには誰の姿もなく古くさい机の上に朝食のパンが一個、日差しを受けて置かれていた。日頃ひもじい思いをしている私には、それが黄金に見えたのである。瞬間、私は悪魔に変身、右手でパンを鷲づかみにして上衣の下にかくし、その場を逃げ去って「オボルナヤ」〈便所〉へと走ったのであった。誰もいない風通しのいい大きなトイレの中で、壁板のすき間と入口に注意しながら、味も分からず一気に貪るように喰いついたのである。私も人の子、その時は些か良心の呵責にせめられ、ロスケに申し訳なく心の中で詫びたことであった。

ラーゲルでは、ことに主食であるパンを盗った者には厳しい「ザコン」〈掟〉があった。この事だけは、今まで誰にも言ったことは無かった。

《出典》「凍原の思い出~私のシベリア体験記」 山本 剛
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